アフターダーク

世界は広い、という表現よりも世界は沢山ある、という表現の方が正しいと私はよく思う。

 

 

 

 

 

 

そう、世界は沢山ある。なぜなら、人の数だけ世界があるから。

 

 

村上春樹は世界の多さを、善と悪という二種類の世界に例える作家だ。本当はもっと沢山、無限に世界はあるんだけど、分かりやすく二つだけと仮定する。世界は一つではないということを伝えている。

 

 

 

 

 

そして彼はこの二つの世界の境目について語る。

 

 

 

ある場合には、その境目は強く硬いものである。エリにとって、マリとの壁は高く厚い。画面の向こうにいるマリは、此方の世界へ戻ることが不可能のように感じる。

 

 

 

 

 

善の世界にいる人間と悪の世界にいる人間は、というより、人間と人間の境目は、世界と世界の境目は、消えることがない。永遠に存在する。

 

 

 

「他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉われていくことになる。おりとはその無力感のことである。我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。」(『回転木馬のデッド・ヒート』、講談社文庫、15ページ)

 

 

我々はどこにも行けない。私は私でしかない。

 

 

 

 

けれどエリは、陰の世界で傷付きながら生きる中国人の少女に親しみを感じる。まるでそこに壁などないように。マリは、ただのクラスメイトだった高橋に個人的な話をばら撒く。境目は曖昧。

 

 

 

「二つの世界を隔てる壁なんてものは、実際には存在しないのかもしれないぞって。もしあったとしても、はりぼてのぺらぺらの壁かもしれない。ひょいともたれかかったとたんに、突き抜けて向こう側に落っこちてしまうようなものかもしれない。というか、僕ら自身の中にあっち側がすでにこっそり忍び込んできているのに、そのことに気づいていないだけなのかもしれない。」(『アフターダーク』、講談社文庫、141ページ)

 

 

 

 

要するに、私たちがそれぞれ持っている世界は一つだけとは限らない。二つの世界を持っている人もいれば、三つの世界を持ってる人もいる。そしてそれらの世界を行き来することは可能なのだ。善の世界と悪の世界の行き来は可能。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちは他人と本質的にわかり合うこと、つまり全く同じ世界を共有することが出来ない。同一の視点を得ることは不可能である。それでも私たちは自分が持っている複数の世界を、その時々でシフトすることにより、目の前にいる相手の世界に寄せることが出来る。

 

 

 

 

 

エリがマリのベッドに入り眠ったとき、エリは自分の持っている世界の中からマリのいる世界と似ているものを選び、その世界に入っていった。マリが画面の向こうから自室に戻ったとき、彼女は懸命に世界を選びシフトさせたのと同様に。

 

これは一種の努力の賜物であると思う。複数の世界を持つこと、そしてそれらをシフトさせることは努力の賜物なのである。

 

 

 

 

白川は、善の世界を持っていたのだろうか?彼は悪の世界しか持っていなかったのかもしれない。一見「普通」の生活を送っている人間が、悪の世界しか持っていないということもあり得る。

 

一方コオロギは、努力していた。懸命に善の世界を模索し、そしてシフトしようとしていた。彼女はあの後、善の世界を獲得するかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、なぜ私たちは他人とわかり合うことが出来ないのだろうか。

 

 

 

それは、記憶と約束を持っているからである。

 

 

「人間ゆうの、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。」(『アフターダーク』、講談社文庫、250ページ)

 

 

自分は自分でしかない、我々はどこにも行けないということ。それはつまり、自分の記憶を持っているということである。自分の記憶が自分の境界を作る。私とは私の記憶である。そして記憶とは、我々が生きていく燃料であり、自分の記憶というものがある限り人間は生きていく。他人と完全に共有されることのない私の記憶によって我々は生かされているのだ。だからこそ、わかり合うことを望んだりする。

 

 

記憶は温度を持つ。あたたかい記憶というものは人を生かす。エリがマリと暗闇の中抱き合ったあたたかい記憶は、エリを生かしてきた。では、冷たい記憶を持つ高橋は?彼はどのように生きていくのか?

 

 

 

 

 

エリに手紙を書くという約束、エリと半年後に会うという約束、これらが彼を生かす。

 

冷たい記憶に囚われている彼は、あたたかい約束を構築する。果たされることが大切なのではなく、約束をつくることが大切なのである。彼はそれだけで生きていける。

 

 

 

私たちは記憶と約束がなくなったときに、無になるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、アフターダークという小説の感想でした。ブログで小説の感想を公開するのは初めてだから、少し緊張しますね。今度、アフターダークについての飲み会があるから、文字に残しておきたかったの。これで上手に話せるはず。

 

 

 

あたたかい記憶と約束はとっても大事だと、思う