うさぎ

色んな人の色んな目を見た。目の奥をいつも見たかった。目の奥には意味があると信じてた。何かがあるんだって、私に対してかならずなにかを発信しているって。

 

色んな人の顔を見た。脳裏に焼き付けようとした。顔、顔、顔、顔。焼き付けたかった。思い出したかった。

 

 

 

 

神さまは、人の目の奥には意味を持たせないように、人の顔は忘れちゃうように、この世界を作ったんだってさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年6月29日に書いてたこの文章、レヴィナスと出会うことが必然だったかのように思える。

 

 

私は、正面から見たときの人の顔を思い出すことができない。人の横顔とか、手とか、体については正確に思い出すことができるけど。それがどうしてなのかをよく考えた時期があった、高校生の頃だと思う。人間は、他人の顔を正確に思い出すことができない。そして私なりに考えた結果、それはその人にまた会いたいと思えるためになんだと結論付けた。これは『分からないものは確認せずにはいられない』という私の性格が導き出した個人的な結論に過ぎないかもしれないけど。でも、もしも他人の顔を正確に思い出すことができるのならば、私は誰かに『会いたい』という感情を全く抱かないと思う。それは少し悲しい、から、この結論には満足している。

 

 

 

 

哲学を少し齧った今は、もう少し違う答えを導くこともできるようになった。

 

例えば、他者の横顔や手や体を見るときの私の視線はその他者を支配できているが、正面、つまりこちらを向いている他者は、視線を私に向けているため私の視線で他者を支配することが不可能になる、とか。他者の視線を支配することはできない。

 

 

 

 

 

 

でもこれも、どうして人間は他者の視線を支配できないように設計されているの?と思ってしまうのである。だからやっぱり、『忘れちゃうため』という理由が一番好き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人間関係って、結局は『見る側』と『見られる側』に集約されると思うんだよね。」

 

「ふーん。私たちは、どうなの?」

 

「俺が見る側で、あなたが見られる側、でしょ?」

 

「ふーん。」

 

 

このときは、「またフーコーっぽいこと言ってるなー」としか感じなかった。けどこのテーゼの問題点は、視線は交うことができないということにあると、今は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年が明けて、11日が経った。彼氏と母以外の人間とは2回会った。どちらも顔の話をした。殆どそこの記憶しかない。それ以外は特に強く伝えたいと思った発話は無かった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで、私は所謂メンヘラでガイジだった。頭がイカれていた。「本当のメンヘラはそんなこと言わない!」確かにそうだ。メンヘラやガイジは客観視が苦手だから。けどさ、客観なんてものは可能なんですか?客観って、何?ちなみに、当時の私は「メンヘラ?きっしょ」とか言ってたと思う。

 

 

 

 

 

メンヘラはメンヘラなりに考えるわけだが、兎に角他者に危害を加えるのは良くない、19歳あたりでそれを強く実感した。遅いんだか早いんだか。そこから1年間ほど記憶がない。かなり頑張って『脱メンヘラ・脱ガイジ』に取り組んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はもうメンヘラもガイジも脱することができつつあると思っていたけど、なんかまだ全然ダメだった。というか、すごく気を抜くと出てしまう。もう私は22歳で16歳じゃない。いきなり頭が悪そうな文章を書いてしまった。けど、素面で人を殴ったりしていた頃に比べると少しは健全になったと思う。というより、そうであってほしい。だってもう素面で人を殴らない。自分の脳みそがイカれてて本当に嫌だ。このままだと本当に友達がいなくなるっぽい。それだけ。

 

 

自分の拭えないガイジさを叩きつけられたとき、自分よりガイジな人間に会って安心したくなるんだけれど、こういう時に連絡する人間は私と同じ名前。変な話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は映画を観た。私が苦手な映画を自発的に観るということは、暇だということ。

 

 

 

 

強迫性緊縛症候群になってしまった女性とその恋人の話。

 

女性に共感し泣いた。映画には大体ストーリーというものが存在するが、そうなると共感も付き纏う、可能性が高くなる。共感する映画は疲れるからあまり好きではない。映画の愚痴は永遠に言えそう。

 

 

 

 

今日フィルマークス覗いてみたら、その映画について「サイコでホラーだけど絵が美しい」と沢山書かれていた。私は共感しないよう努めることに精一杯で、絵の美しさはあまり感じ取ることができなかった。三月のライオンの方が好きだ。