精神的な話

対他のスポーツと対自のスポーツについて。対他のスポーツは言い換えると相手と接触するスポーツだ。柔道、ボクシング、フットボール、バスケ。私は中学生の頃バスケ部に所属していたが、バスケに対してはなぜか苦手意識がある。技術の話ではない。大体いつもスターティングメンバーだったし、副部長も務めた。苦手なのは、それが他人と接触するスポーツであるからだ。対他のスポーツ。一方で、私は水泳が好きだ。小学生の頃、スイミングスクールに通っていた。かなりハードな練習量を求めてくるスクールであったため、正直とても辛かったし、若干10歳前後の少女が経験するべきではないようにも感じた。しかし私は今も水泳というスポーツが好きだ。他には長距離走も好きだ。これらは完全に対自スポーツだと思う。そして卓球も実は対自的なスポーツであると思う。私は卓球も好むが、その所以は戻ってくる球を只管打ち返すという作業が非常に対自的だからだ。卓球も実は対自的なスポーツだと考えられるかもしれない。私がなぜ対他的なスポーツが苦手なのか。これは現在私がレヴィナスに傾倒していることと関係があるのか。対面の関係では相手は貧しい人である。私の根底にある精神性。スポーツの話に戻るが、対自的なスポーツとしてサウナも入るであろう。己を追い込む作業。しかしサウナで己を追い込んだ後に入る水風呂。あれは完全に超越だ。サウナは内在で水風呂は超越。内在のための超越か、超越のための内在か。私は前者である、とあえて言い切ってしまおう。超越主義者。例えばスピノザは、サウナのための水風呂だ、と主張するのだろうか。今の私は何をしてもレヴィナスに結び付けてしまう・・・。